福源酒造・お囲蔵・建設にあたり


〔設計意図〕
はじめに
北の安曇野と呼ばれ、北アルプスの山並みや田園風景のすばらしい環境に恵まれた池田町は、かつては千国街道の宿場として発展し、元和5年(1619年)に松本藩主松平(戸田)丹波守康長の隠居城「若松城」を構築した。15000石の城として完成一歩の所で康長の後継者である藩主加賀守忠光が病死し、工事中止となり、幻の城となっている。
今でも殿小路、お屋敷などの地名が残り、親しまれている。

明治から昭和にかけて製糸の町としても栄え、大町市をしのぐ時代もあり、大正15年には安曇追分より独自で池田鉄道を引く勢いもあった。しかし不況のあおりで昭和13年に廃業になり、戦後は発展することなく今日に至っている。
当時の繁栄をしのぶ町家や蔵、洋館等が残り独特の景観を作り上げているが、悲しい事に年々その姿が消えてゆく。


お囲蔵について
江戸時代に各村々に年貢米の保管や凶作に備えての貯敷などの為に「郷蔵」と呼ばれる収蔵庫が造られた。池田町の村々にも、ほとんどの村に郷蔵が設けられていたが時代と共に必要性は薄れ、次々に取り壊され、現在ではその姿は全く見られない。
花見地区に「御囲蔵」と呼ばれる土蔵造の大きな建物が唯一残っている。天保
11年に池田町の横町(現豊町)に造られたもので、明治初期に和沢家が買って花見に移転したもので、万覚帳には「御囲穀土蔵」としるしてある。江戸時代には、郷蔵に貯えられた籾を「囲穀」といい、各村々から「囲籾書上帳」で藩へ報告することになっていた。領主への年貢の籾なので「御」を付け「御囲穀」と呼ばれたものと思われる。
この建物は二つの入り口があったとされ、錠前の板札に「池田組・松川組 御囲蔵」とあるのでこのような名で呼ばれるようになった。間口15間、奥行4間、60坪の積込総量3000俵の大蔵で普通の郷蔵に比べて格段に規模が大きい。池田町大火や善光寺大地震、あるいは洪水などの災害にあった年には多量の御救籾が出されたといわれている。
唯一残っている「御囲蔵」もだんだん老朽化が進み、何時解体されるか分からない状態になってきている。町としても後世に残して活用も検討したが、多額な費用がかかり対応しかねる状態なので、元の姿を図面と写真により後世に残すことになった。その調査を建築士事務所協会大北支部の町づくり委員会で行い、私も参加することができた。柱、梁等の構造はしっかりした物で、住宅として一部改装されているものの、当時の蔵のもつ重厚さや歴史が肌で感じられる建物である。

福源酒造さんより事務所建替えのお話をいただき計画を進めて行く中で、建築規模からも歴史を後世に伝え残す意味でも、この建物を譲り受け再利用することを提案させていただいた。この事に共鳴する所があり、又持ち主である和沢さんからも数回の交渉の結果「地元でこの建物が生かせれば」との事で実現の運びとなった。
肥沃な土地と豊かな米に恵まれ、清らかな水の潤うこの郷は、古くから酒造産業も盛んであった。造り酒屋として老舗の福源酒造も、事業展開していく為に事務所としての役割特色作りをこの建物に表現する事、地域の皆さんに親しみ活用していただける事を目的としている。
池田町の中心部にある福源酒造は歴史の繋がりの中で偶然にも若松城を構築した城跡の中心に位置する。松本藩の元で建てられた御囲蔵がこうして若松城の跡地に移築出来た事にとても意味深い物を感じる。


設計主旨
主構造である4間×15間のお囲蔵の骨組みはそのまま利用し、土蔵の持つ独特の表情は大切に残しながら、既存の制約がある中で回廊を周りに巡らし、単調なデザインとなるのを一工夫する。しかし、あくまでもシンプルで蔵のイメージを壊さず、外観はシンメトリーでまとめる。
この周辺にはいくつかの大きな蔵が点在していることから、存在をアピールする方法として、また白壁との対比を考え、施主の希望もありベンガラの赤壁とした。
ゾーニングは事務所のエリヤとイベントエリヤを2分割し、領域にまたがるサービスゾーンを中間に配する事により、多様化した利用が可能となる。あらゆる企画に対しても、フレキシブルな平面にしておく事で対応しやすい建物となっている。
回廊は外と内との中間的な両域となっていて、寒冷地対策に一役かっている。すべての人がいったんこの場所に入り各部屋に行く事になる。事務室は敷地全体を管理する場所でもあるので、アプローチより一番目につきやすい所に位置付け、一郭に売店.試飲コーナーを設け、イメージUPに繋がる仕掛けをしている。
多目的ホールは一般の方にも気軽に利用できるよう事務室と反対側に配置し、お囲蔵の内部空間をいかしたデザインとし、天井を張らずにそのまま小屋組を見せ、柱、梁の力強さと、歴史の厚みが感じ取れる空間構成となっている。多目的ホールから談話室、食堂、休憩室へ繋がるこのスペースは、従業員のコミュニケーションを図る場となり、また各イベントによりそれぞれの役割を持った部屋ともなる。休憩室には囲炉裏を切り、ノスタルジックな演出効果を狙っている。

平成16年にようやく2階部も計画どおり完成し、活用の幅を広げて行く計画である。
お囲蔵がこうして形を変えてもこの地に残り、次の世代へと引継がれて行く事に、責任と期待を感じながら工事は終わった。



御囲蔵の足跡

1840(天保11)豊町に建設。

明治維新後競売により花見地区に移築。

2001年和沢さんより譲り受け、福源酒造事務所として生まれ変わる。

設計、監理  小林建築設計事務所

施工 建築  (株)矢口工務店

    設備  (有)設備工業

    電気  (有)安曇電化センター
         


BACK ← → HOME
Copyright (C) 2007-2014 Kobayashi Architect Design Office. All Rights Reserved.